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Dr. Kathleen Mae Cumiskey講演会 「不在の他者の存在から、存在の不在へ:新興技術がアイデンティティと関係形成に与える影響」報告

呉先珍(B’AI Global Forum 特任助教)

日時: 2024年10月8日(火)18:00-19:30
会場:東京大学浅野キャンパス理学部3号館327(対面のみ)
主催:東京大学 Beyond AI研究推進機構 B’AIグローバルフォーラム
後援:東京大学 Beyond AI研究推進機構
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携帯電話の発明とその広範な普及は、人々の公的/私的交流の在り方を劇的に変化させた。いつどこでも連絡がとれる手段として普及した携帯電話は、急速に社会的規範を再定義し、人々が自身の行動をどう捉えるか、また他者の行動をどう評価するかにも影響を与えた。今回ご講演いただいたニューヨーク市立大学スタテンアイランド校・ニューヨーク市立大学大学院センターのKathleen Mae Cumiskey教授は、モバイル・デバイス、さらにはAIやロボティクスが、人間のアイデンティティ、関係性の形成、自律性といった根本的な要素をいかに再構築しているかについて社会心理学的考察を行ってきた人物である。

講演の中核にあったのは、「不在の存在(absent presence)」という概念である。これは、ケネス・ガーゲンが広めた言葉であり、モバイル端末が注意力を分断する構造をもたらし、使用者は身体的にはその場にいても、精神的には別の場所にいるという状態を指す。Cumiskey教授は、携帯電話の使用者がその使用を正当化する際、しばしば緊急性を理由に挙げる一方で、周囲の人々はその行動を無礼で侵害的と受け取るという、認識のずれを詳細に説明した。この分裂的な解釈は、テクノロジーが個人と公共の境界を曖昧にし、社会的相互作用の場を再定義していることを示している。

Cumiskey教授はさらに、哲学者エマニュエル・レヴィナスの思想を引き合いに出し、「対面的な出会いには倫理的責任が伴う」という視点を紹介した。モバイル技術は遠隔でのやりとりを優先させることで、身体を伴う出会いの重要性を損ない、人間関係を非人間化する可能性をはらんでいる。媒介されたコミュニケーションは誤解を生みやすく、日常的な相互作用における倫理的側面を複雑にしている。

講演は、過去20年間にわたるモバイル・コミュニケーションの変遷をたどった。かつては音声通話が中心であった携帯電話は、現在では自己の延長のような存在となり、テキストメッセージなど非言語的なやり取りが主流を占めるようになった。日本で行われた調査では、特に若い世代において、電話で直接話すことに対する抵抗感が高まっていることが示されている。Cumiskey教授は「電話恐怖症(phone phobia)」という概念を紹介し、こうした直接的なコミュニケーションへの不快感が、予測可能で手軽なAIとのやりとりに慣れる下地となり、結果的に個人の自律的な意思決定から距離を置く傾向を助長すると論じた。

Cumiskey教授はまた、AIやロボティクスが新たな「不在の存在」の形態となっている点についても批判的に考察した。利用者はAIを効率的で目的志向的な存在として体験するかもしれないが、それはしばしば本来的な人間同士の関わりを媒介し、希薄化させる。博士は、自律性の低下、受け身的な関与、そして「社会的手抜き(social loafing)」のリスクを指摘した。つまり、個人が次第に意思決定をテクノロジーに委ねることで、自分の人生における「能動的な参加者」から「受動的な観察者」へと変貌しうるという。この現象は、ゲーム文化における「NPC効果(Non-Playable Character Effect)」にも通じるとした。

アイデンティティの形成もまた、新たな課題に直面している。メディアの登場人物やAIに対して、一方的に親密さを感じる「パラソーシャル関係(parasocial relationship)」が広がるなかで、「孤立の中のアイデンティティ」が形成されつつある。こうした関係は一時的な安らぎをもたらすこともあるが、最終的には相互性のある深い関係性を置き換えてしまい、さらなる社会的孤立を招くことになる。

COVID-19のパンデミックはこれらの傾向をさらに加速させた。非接触型のやりとりやバーチャルな交流が常態化し、人間の顔が監視やデータ収集の対象としてデジタル化されるなど、社会的なつながりの非人間化が進行した。Zoomなどのバーチャル会議ツールは、活動の継続性を可能にした一方で、真正性のある「存在」を犠牲にしている。

講演の結びにおいてCumiskey教授は、テクノロジーによる負の影響に抗う哲学的な道として、禅の思想、とりわけ「初心」や「残心」といった概念を提示した。これらの実践は、自動化が進む世界において、自律性と注意深い「今ここへの存在感」を保つための手立てとなりうる。Cumiskey教授はこのアイデアを敷衍し、人々が自らの関係性や自己理解を取り戻すための、哲学的かつ実践的な道を探るべきと力説した。