2023.Apr.12
REPORTSMeDi『いいね!ボタンを押す前に』刊行記念イベント第一弾
「わたしたちの知らないインフルエンサー」報告
金 佳榮(B’AI Global Forum 特任研究員)
・日時:2023年3月1日(水)19:30~21:00(日本時間)
・場所:ハイブリッド(神保町 読書人隣り & Zoomウェビナー)
・言語:日本語
・登壇者:小島慶子(エッセイスト、東京大学大学院情報学環客員研究員)
治部れんげ(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)
田中東子(東京大学大学院情報学環教授)
・主催:亜紀書房 & MeDi
・共催:東京大学Beyond AI研究推進機構B’AI Global Forum
(イベントの詳細はこちら)
2023年3月1日、「メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)」のメンバーによる2冊目の書籍『いいね! ボタンを押す前に——ジェンダーから見るネット空間とメディア』(亜紀書房、2023年1月刊行)の刊行記念イベント第1弾が神保町の会場とオンライン同時配信のハイブリッドで開催された。MeDiと亜紀書房の主催、東京大学B’AI Global Forum共催で開催された本イベントでは、著者8人のうち、序章と特別対談を担当したエッセイストの小島慶子氏、第3章「なぜSNSでは冷静に対話できないのか」を執筆した東京大学大学院情報学環教授の田中東子氏、第4章「なぜジェンダーでは間違いが起きやすいのか」を共同執筆したジャーナリストで東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の治部れんげ氏の3人が登壇し、「わたしたちの知らないインフルエンサー」というテーマで自身のメディア経験を交え議論を行った。
冒頭、今回刊行された『いいね! ボタンを押す前に』について、企画背景を含め簡単な紹介がなされた。スマートフォンを手にしたことで誰もがメディアになる今日、一人ひとりに発信者としての責任をきちんと意識することが求められている。さらに、「一億総メディア時代」を可能にしたネットという空間がいったいどういう仕組みで動いているのか、それは個人や社会にどのような影響を与えており、どのような権力を行使しているのかについてもしっかり考える必要がある。本書は、このようなメディア時代を生きる上での入門書として企画されたという。
そして、ネット空間の経済的構造やオーディエンスが受ける影響、ネットにおける世論のあり方などを考える上で一つの切り口となるのが、本イベントのテーマでもある「インフルエンサー」という存在である。近年、インフルエンサーと呼ばれる人たちがSNSをはじめとするネット空間で多様な活動を繰り広げている。しかし、オールドメディア時代の著名人とは違って、ある世界では圧倒的な知名度と発言力を誇る人が違う世界では全くの無名であることも稀ではない。その点で、今日のインフルエンサーとはネットという空間がいかに分断された世界であるかを示すシンボリックな存在ともいえる。このようなインフルエンサーたる人たちはどうやって生まれるのか。
そこで登壇者は、ネット空間で誰もがついやってしまいがちな「いいね」ボタンを押すという行為に注目。誰かの書き込みへの賛同や支持を表すこの行為は、しかしそんなに単純な事柄ではないと指摘する。何気なく押してしまう「いいね」は、誰かに「1」という数を与えることでその分の力を付与する行為なのである。さらに、ネットにおける炎上や誹謗中傷が相次ぐ近年において「いいね」を押すことは、ある時は加害に加担することになり、ある時は知らないうちに自分を傷付けることにさえなり得る。そしてこの「いいね」をたくさん集めた人はインフルエンサーと名付けられネット空間で大きなパワーを得ていく。
この日、モデレーターを務めた治部氏は、ネット時代になりSNSを中心にインフルエンサーという存在が登場したことでメディア界とアカデミアではどのような変化が起きたかについて、小島氏と田中氏それぞれに尋ねた。まず、30年近くテレビやラジオの仕事を続けており、その途中でツイッターなどSNSの普及を経験した小島氏は、オーディエンスとのラリーが非常に速くなったことがSNS時代になっての最も大きな変化だと述べた上で、過去と違ってマスメディアに出演しなくても数百万人のフォロワーがつく人たちが登場し新たにパワーを持つことが可能になり、それによって日本の芸能ビジネスも大きく変わってきていると説明。一方で田中氏は、従来のアカデミックな雑誌では書き手がほとんど男性だったがSNS時代になってからオーディエンスの支持がネット上で可視化されるようになったことで女性の書き手への仕事の依頼が増えたことは大きな変化であるとしながらも、ただ今度は「いいね」の数が絶対的になりすぎて、根拠が怪しい発言でも「いいね」がたくさん付けばあたかも真実であるかのように受け入れられてしまうという負の側面もあると指摘した。そこで小島氏は、本の中で対談した経済学者の山口真一氏による「ネット世論は世論ではない」ということばに言及。山口氏の研究によれば、ツイッター上でネガティブな発言をするのは実はユーザー全体の0.00025%に過ぎないという。それなのに、そのような発言が広がり炎上すると、それが「世の中の声」であるかのように見えてしまうのである。SNSを見て「みんなこう言っている」と思いがちだが、この「みんな」というのは全く「みんな」ではないし、「いいね」がたくさん付いたとして信頼して良いわけでもないので、ネット時代においては「数字に対するリテラシーを付けること」がますます重要になってくると小島氏は強調する。
このように、ネット上で起きていることの真偽や世論の実態についてはまだまだ検証が必要な部分が多いのだが、それにもかかわらずネット炎上やインフルエンサーなどのインパクトがますます強まっていくのはなぜだろうか。登壇者は、既存メディアによるネットの扱い方が一つの要因であると指摘する。近年、ネットで盛り上がった話題がテレビと新聞で取り上げられることや、SNSのインフルエンサーがテレビに出演したり新聞で発言することが増えてきている。その中にはニュース価値や信憑性の面で疑わしいケースも含まれているが、既存のメディアがこれらを取り上げることでお墨付きを与えてしまっているという。ネタ探しのための過度なSNS依存、数字(視聴率やページビュー)目当てに極端な発言をするインフルエンサーの起用、そしてネット炎上に油を注ぐような報道ぶりなど、昨今の既存メディアについて様々な問題が指摘された。
ただ、ここまで「いいね」で象徴されるネット上の世論らしきものについて批判的に語られてきたが、そこにある価値やSNSをはじめとするネット言論空間の意義が一概に否定されたわけではない。小島氏が述べたように、今まで政治の場で意見を聞いてもらえなかった人たちがネットで誰かを支持することによって力を得られ存在を可視化されることもあるし、その人たちの支持によってインフルエンサーになる人も確かにいる。また、治部氏によれば、政権与党に対する反対意見が即時に伝わり対応が求められるということはSNS以前の時代には不可能だった。一方、田中氏は、ネット炎上という言説が広まったことで、ある社会問題へのまともな指摘や是正を求めるまとまった声までもがただの「炎上」と軽んじられてしまうこともあると指摘した。
このように両義性をもつネット言論空間だが、現代社会において、また民主主義において欠かせないメディアになっているからには、なんとかうまく付き合っていかなければならない。そのためにいま何が必要なのか。登壇者は、SNSのメカニズムやそれが私たちの体や心や欲望に与える影響についてしっかり議論すること、そして、ネットメディアはまだ黎明期なので今のうちにきちんとルールをつくり少しずつ設計し直していくことが重要だと述べた。また、田中氏は、意外と大事なものとして「エチケット」を挙げた。法や規制などではなく、参加する一人ひとりがこの空間を維持するための最低限の礼儀を持つことが必要だということである。さらに、SNSばかり使うのではなく、対面で人と人がきちんと話し合う場と組み合わせながら議論の空間を築いていくことが重要だとの見解も示された。
この議論は、「Web3.0やAIや仮想空間がますます進化する現代において、それでも人間同士がネット社会で心地よく共存するためにはユーザー側にどのような心掛けが必要か」という参加者からの質問によってさらに続けられた。小島氏は、再び山口氏との対談を振り返り、メタバースなど、生身の体を離れたところで他人と出会うことが当たり前になっていく中で必要なのは意外にも「哲学」だという山口氏の見解に非常に共感したとし、「何が価値があり、何が私たちを豊かにし、何が私たちにとって尊いのか。一人ひとりがメディアになる時代なのでその一人ひとりがメディアを運営する上での哲学を持ってほしい。デジタル技術が進めば進むほどそのような原点が不可欠になる」と、山口氏との対話を通じて得た気づきを語った。
今回のイベントは、インフルエンサーという切り口から入って、ネットと既存メディアの関係、そしてネット空間との上手な付き合い方にまで議論が広がった非常に興味深い時間となった。アテンション・エコノミー、すなわち、人々の注意と関心に値段がつけられ、フォロワー数もページビューの数もユーザーのウェブサイト滞在時間も経済価値に換算されるようなネット空間の仕組みに呑み込まれないためにはどうすれば良いか、オーディエンスでありながら発信者でもある一人として考えさせられる貴重な機会となった。