2022.May.26
REPORTS第8回B’AI Book Club報告
Kate Crawford, Atlas of AI: Power, Politics, and the Planetary Costs of Artificial Intelligence (2021)
加藤大樹(B’AIリサーチ・アシスタント)
・日時・場所:2022年2月22日(火)17時半~19時 @Zoomミーティング
・使用言語:日本語
・書籍: Kate Crawford. (2021). Atlas of AI: Power, Politics, and the Planetary Costs of Artificial Intelligence. New Haven, CT: Yale University Press.
・評者:久野愛(東京大学大学院情報学環・准教授)
2022年2月22日、B’AI Global Forumのプロジェクトメンバーとその関係者が参加する書評会「B’AI Book Club」の第8回がオンラインで開催された。今回は、AIの背後に存在する権力関係を明らかにしつつ「AIは“人工”でも“知能”でもない」(p. 8; 著者による強調)と主張する『Atlas of AI: Power, Politics, and the Planetary Costs of Artificial Intelligence』(Yale University Press, 2021)について、B’AIの久野愛准教授が紹介した。
『Atlas of AI』はこれまでのAI研究、すなわちAIを物質的なものから切り離された抽象的な「知能」と捉え、AIの社会的な側面について議論することなくその技術的な点にばかり関心を寄せてきた既存研究を適切に批判している。こうした既存の研究の陥穽を乗り越えるために、著者はAIを広範な社会構造やシステムの中で捉え、AIに関するエージェント(何が、誰のために最適化されているのか、そして誰が最終的な意思決定権を持っているのか)を徹底的に追跡するというアプローチを採用している。これにより、本書はAIがいかにして「作られ」、それがどのような社会的、経済的、政治的影響力を持つのかをつまびらかにすることに成功している。本書の各章では、自然や労働といった、AIシステムによって資源が搾取されている様々な領域について、綿密な分析が展開されている。著者はかなり幅広い領域の二次文献を渉猟することで、AIが具体的かつ物質的なモノであり、インフラや資本、労働力と結びついた権力構造を維持するために機能しているということを、本書の全体を通して説得的に論じている。
久野准教授による導入の後は、本書が広範な読者層にリーチしうるという点について多くの議論が交わされた。この本が一般の(非学術的な)雑誌で数多くの書評を受けていることからも明らかなように、本書の想定読者には研究者だけでなく非専門家も含まれているように思われる。例えば、本書は平易で一般的な用語を使用し、また感情のデータ化といった様々な身近な事例に言及することで、読者にAIの問題をより身近に感じてもらえるような工夫を凝らしている。また、本書は全体的にソフトで中立的な語り口であり、著者が何か特定の具体的な「敵」に対して怒りや苛立ちを表す箇所もほとんどない。こうした特徴により、本書が多くの読者にとってより親しみやすいものになっているように思われる。
しかしその一方で、そうした中立性や読みやすさを志向したこともあってか、本書ではいくつかの重要な論点をスキップしており、例えば物質性に関する哲学的な考察や現状の問題に対する処方箋などについて十分に議論できていない。著者は、AIが広範な社会構造に依存して既存の権力関係を強化している現状を明晰に分析しているが、そうした状況に対する有効な手立てや代替案については説得的な議論を展開できていない。このように著者自身の立場をあいまいにしておくことで、本書が多くの一般読者にとって親しみやすいものになっている部分もあるだろうが、その一方でそれでは不十分だと考える読者も一定数いるだろう。
ただ、こうした欠点はあるにせよ、本書は現在のAIシステムを支える下部構造を平易な表現で詳細に描いているという点で、専門家と非専門家の双方にとって必読の書といえる。『Atlas of AI』は、AIの利活用に関する倫理的な議論からAIの背後に存在する権力構造へと焦点を移すことで新たな研究領域を開拓し、これまでAI研究に興味を持っていなかった読者層にもアプローチできる稀有な研究書である。そういった意味では、書評会で多くの参加者が度々言及していたように、本書は日本語への翻訳のしがいがある本であるとも言える。日本のAI研究者や実務家の間では、AIの社会的、経済的、政治的側面に関する議論が十分におこなわれているとは言い難いため、本書はそうした議論の出発点としても有用だろう。