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ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」訪問報告

金佳榮・佐野敦子(B’AIグローバル・フォーラム特任研究員)

・日時:2022年3月30日(水)
・場所:東京都竹芝 ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」

2022年3月30日、B’AIグローバル・フォーラムでは、ダイバーシティをテーマとする日本初のミュージアムとして知られる「ダイアログ・ダイバーシティミュージアム『対話の森』」(以下、「対話の森」)を訪問した。全身の感覚を活かしたコミュニケーションを通じて他人とつながり、エンターテインメントを楽しみながらダイバーシティを体感できるというコンセプトのこのミュージアムは、1988年にドイツの哲学者アンドレアス・ハイネッケ氏が発案した「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、ダーク)から始まった。視覚障がい者に案内され暗闇の中を旅するという内容のダークは、ヨーロッパをはじめ世界50カ国以上に広がり、日本でも1999年に初開催された。その後、ろう者のアテンドで音のない世界に入り表情やボディランゲージで対話を楽しむという「ダイアログ・イン・サイレンス」(以下、サイレンス)と、70歳以上の高齢者に案内され、高齢者に近い身体条件を体験しながら歳を取ることや生きることについて考えるという「ダイアログ・ウィズ・タイム」が新たなプログラムとして加わり、日本では2020年に常設展として「対話の森」がオープンした。B’AIが訪問した2022年3月には、ダークとサイレンスが開催されており、参加者はグループに分かれてこの2つのプログラムを体験した。

 

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 

ダイアログ・イン・ザ・ダークには報告者を含め6人が参加した。この日、暗闇の中を案内してくれたのは外国出身の視覚障がい者の方で、はじめに参加者たちに杖を一本ずつ渡してくれた。入り口の前で杖の使い方を学び、中でお互いを呼び合うためのニックネームを決めた後、いよいよ完全な暗闇の中に入った。

東京を出発して岩手県にあるおじいさんのお家に遊びに行くという設定で90分間の旅が始まった。中に入ってしばらく経つと目が慣れてきて少しは見えるのではないかと思ったが、薄らとした明かり一つもなかったため中は文字通りに真っ暗だった。

そこで最初にやったのは、キャッチボールだった。芝生のようなところで広い輪になって座り、ボールを床に転がす形で投げて受け取る。受け取り役の人は「私はここにいる」ということを投げる人に声と手拍子で一生懸命伝える。最初は意外とうまくいって楽しんでいたが、そのうち数名が受け取りに失敗し、ボールが輪の外に転がってしまった。そうなるとボールがどこにあるのかを探すのが大変であった。アテンダントにはボールの位置が分かっているのが不思議だった。

少し遊びができたところで、本格的な移動を始めた。視覚が使えない状況では他の感覚に頼らざるを得ない。手を動かして壁を見つけ、杖で床を叩きながら足を踏み入れてもいいかを確認する。その時に特に頼りになるのは音だった。アテンダントの誘導で、先頭に立った人が「こちらです」と叫ぶと、それを後ろの人に伝えながら声が聞こえてきた方向へと進んでいく。正しい方向を見つけるために、そしてぶつからず安全に移動するために、声を掛け合ってお互いを支えるのが必須だった。そのうちに近くにいる人と体が触れ合うこともあり、またニックネームで呼び合っていたので、普段とは違う関係性が生まれた感じがした。

そうやって移動する間に、床は芝生からツルツルとしたところへ、またフワフワとしたところへと変っていった。ところところで点字ブロックや手すりが表れ、そのようなところでは少し安心して歩くことができた。移動の最後は岩手方面の電車に乗るというシーンだったが、電車内部の模型は普段利用している電車の中と変わらないはずなのに座席図を把握するのは簡単ではなかった。

そうして、やっとおじいさんのお家に到着。出かけたおじいさんを一休みしながら待つという設定で、暖かいこたつの中に入った。テーブルの上に点字で書かれたおじいさんからのお手紙が置いてあったので触ってみたが、当然ながらなんと書いてあるのか全く分からない。習ったことがないので読めないのは当たり前だが、そこまで繊細な感覚を使ったことのない指先ではそもそも点字一つ一つの形すら分からなかった。

こたつの時間では、今日の体験について感想を交わした他、見えない世界で生きてきたアテンダントの方のお話を聞くことができた。障がいをめぐる社会制度や基盤施設の現状、人々の意識の不足などについて話した彼は、ダイバーシティとインクルージョンを実現するための土台となる教育と仕事、そしてそれを支える技術について日本で研究していきたいと語った。

プログラムの最後は、暗闇の中での鬼ごっこだった。短時間の体験で見えないことへの不安と恐ろしさが和らいだわけではないが、旅を始めた最初よりはずっと広い足幅で歩き回ることができた。

 

ダイアログ・イン・サイレンス

 

サイレンスの参加者は7名。「音のない世界の達人」であるろう者のアテンドで、いくつかの部屋を回った。

各自ヘッドフォンをもって、入場後に装着、参加者同士の会話は当然禁止である。最初に入ったのは、手を使う対話の部屋で、天板が光っている円柱のテーブルを全員で囲み、テーブルの上に手をかざすとできる影をつかって、一緒に大きな模様をつくったり、コミュニケーションをとって遊んだ。

次は顔の表情で対話をする部屋であった。丸いスクリーンの周りに格子状の囲いがあり、その間から顔を出して、参加者がそのスクリーンを囲んだ。真ん中のスクリーンには笑顔の子どもの写真や睨みをきかせた歌舞伎等や絵画の人物がうつしだされ、その表情をみながら、参加者もリアクションを重ねていく。そうすると、自分自身の顔も額縁に入った絵画のひとつのようにみえてくるのである。

その次は手のジェスチャーを使って楽しむゲームであった。部屋のなかに集合ポストのように積み重なっている20個程度の箱があり、それぞれの扉には握りこぶしなど様々な手の形が描かれている。そのうちのひとつ、例えば、熊手のように5本の指がすべて離れている手の形で、ピアノやチェロを奏でる真似をしたり、クマなどの動物を表現する。同じ手の形でも動きや角度を変えることで、さまざまなことが表せることを体験した。

いろいろな表現の可能性を知ったところで、次は音のない対話に参加者だけで挑戦する部屋であった。ここまで各部屋で積み重ねてきた対話の方法、つまり手や表情、ジェスチャーだけを駆使して意思を伝えるゲームである。提示された写真と同じように、相手に積み木やおもちゃを配置するように伝えるが、なかなかうまくいかない。出来上がりが写真とまったく違うものとあった。

ここまでは、参加者とろう者のジェスチャーを介した対話であったが、次は手話通訳者を介して対話する部屋に移動した。手話を交えてアテンドにいろいろ話を伺ったり、画用紙とペンを使用してこちらの意思を伝えるなど様々な方法でコミュニケーションを試みる。部屋の壁にかかった簡単な手話が書いてあるパネルをみて、手話での対話に挑戦することもできた。

最後の部屋では、アテンドがメッセージを伝えた。対話を通して社会に花を咲かせていきたいという熱い思いは、それまでの部屋で音がない対話を積み重ねてきた私たちにとてもよく伝わった。

 

志村真介氏の講演

 

それぞれのプログラムを体験した後、ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンFounderの志村真介氏から「都市の中に暗闇や静寂をつくる――ダイバーシティ&イノベーションから学ぶこと」というテーマで講演をしていただいた。

志村氏はまず、新型コロナウイルスの影響によって今日の世界がどれだけ差別と偏見に溢れ、人々が断絶してしまったかに言及し、分断を助長する様々な見えない壁を取り払って異なる意見を持つ多様な人々がお互いを尊重しながら対等に対話することがいかに大事なのかを強調した。「対話の森」の生みの親であるアンドレアス・ハイネッケ氏は、まさにこのような問題意識からダイアログ・イン・ザ・ダークを発案したという。

志村氏によると、社会はSeparation(分離する)からIntegration(統合する)へ、そこからさらにInclusion(多様性を受け入れる)へと変化している。スポーツ競技の観覧席を例に挙げると、Separationは健常者用の座席と障がい者用の座席を分けて設置すること、Integrationは健常者用の座席の中に障がい者用の座席を一部設置すること、Inclusionは健常者も障がい者もどこでも座れるようにすること、ということで、「対話の森」が目指すのはInclusionだと説明する。また、Inclusionへの変化を加速させるためにはイノベーションが必要で、そのイノベーションを実践するために「対話の森」が行った試みがいくつか紹介された。その一つが、障がいを擬似体験する施設ではなくソーシャルエンターテイメントとして作ることであった。そして、できないところではなくできることを重視するということで、例えば、視覚障がい者は触覚が非常に優れているため肌触りが良いタオルや手に持ちやすい器の制作といった分野で素晴らしい能力を発揮できるなど、障がい者だからこそより上手にできることに着目してきた点が挙げられた。さらに、前例がないことを理由にこのような施設の許可等がなかなか認められなくてもあきらめずに関係省庁と何度も対話を重ねながら日本での「対話の森」の開館を実現させたことも、イノベーションのための試みとして言及された。

続いて、ダイバーシティとは何かについて言及があった。志村氏は、身長が異なる3人が壁越しの野球試合を見ている絵を提示し、Equality(平等)、Equity(公正)、Liberation(解放)の違いについて説明した。身長に関係なくみんなが同じ高さの踏み台を渡され、結果的に踏み台を使っても試合が見られない人が発生し得るのがEquality、みんなが試合を見られるように、それぞれの身長に合わせて異なる高さの踏み台を渡すのがEquity、そして壁そのものを取り払ってしまうのがLiberationであり、真のダイバーシティ向上のために壁を無くしていくよう取り組みたいと志村氏は述べた。また、均一な煉瓦ブロックで作られた壁と多様な形と大きさの石で作られた石垣を例に取り、ダイバーシティという考え方がなかった高度成長の時代には社会が煉瓦ブロックの壁のような形をしていて、摩擦がないため合意形成はしやすかったが、石垣のように多様な人々が集まった方がその違和感と摩擦力がグリップとなり社会全体が強くなるということで、社会におけるダイバーシティの重要性を改めて強調した。

講演に続く質疑応答では、これまで来場した人々の動機や体験後の反応などについて話を聞くことができた。特に子どもの来場については日本と海外で違いがあり、日本では学校からの団体申し込みが入ることが多いが、海外では「対話の森」への訪問が学校教育のカリキュラムに含まれているところも少なくないという。それだけでなく、ほとんどの国では運営自体も政府がやっているということである。それが可能なのは、国が強くなるためにはダイバーシティへの意識向上が必要であるとの合意がその国の中で取れているからだという。政府から支援を受けることさえ簡単ではないという日本の課題が重く感じられた。

一方、今後各種プログラムにAIなどのテクノロジーを導入する考えはあるかという質問に対して志村氏は、可能なら人間のアテンダントに加えAIのアテンダントを並列的に設置してみたいと答えた。それが実現すれば、講演の中でも話が出たAIの可能性、すなわち、人間のできることを拡張し、多様性を受け入れて人を幸せにするAIの社会における実現にも一歩近づけることになるだろう。

今回の訪問で、普段ダイバーシティとインクルージョンの重要性を謳いながらも、これまで気付いていなかったマイノリティの人々の生きづらさや、社会の中にまだまだ壁が多くあることに気付かされた。スローガンで終わらないダイバーシティの実現のためには、多様な人々との対話とその対話を可能にする場が切実に必要であることを改めて実感する機会となった。

 

参加した学生の感想

 

スエダ・マシュー(Matthew Sueda、東京大学大学院学際情報学府 アジア情報社会コース(ITASIA)修士課程)

Dialogue in the Dark was a powerful experience; navigating through complete darkness was difficult, but with the help of our wonderful guide we learned how to play catch, manoeuvre on and off a train, and even play tag, without relying on our eyes. Working together through these activities sparked conversations on diversity and disability, and helped to foster an awareness of some of the challenges that blind and visually impaired individuals face when navigating everyday spaces. I would highly recommend Dialogue to colleagues and other students.

 

安東明珠花(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

<ダイアログ・ミュージアム(ダイアログ・イン・サイレンス)を体験して>

私はろう者の両親を持つ聴者(コーダ)である。私は手話やろう者についても研究していることから、ダイアログ・イン・サイレンスの存在は前から知っていたが、今回この機会に体験させていただきとても感謝している。ダイアログ・イン・サイレンスではろう者の案内のもと、ジェスチャー(手話ではない)でコミュニケーションをとりながらタスクをこなした。各部屋でのタスクは手話言語学の知見も取り入れられており、手話言語学を学んでいる身としても「手話を知らない人にもこのような形で手話言語学の面白さを伝えることができる」と知識を得ることができた。最後に手話通訳士も交えてろう者と対話をする時間があったが、そこでは「今まで話してきたのはジェスチャーで、手話ではなかったのか」という気づきを参加者に与える目的もあったのだと思った。

最後の志村氏の講演では「壁を越えるための道具を渡すのは簡単だが、壁を取り払うことの方が難しい」という言葉が印象に残っている。壁を越えるにも、壁を取り払うにも、そのためには、社会にある壁を見つけていくことから始めなければならないと思う。この社会にはまだまだ見えない壁が多くあるはずだ。

 

カリーシャ・オン(Charisia ONG、東京大学大学院学際情報学府 アジア情報社会コース(ITASIA)修士課程)

In the realm of media studies, there is much focus on visual culture, a reflection of the privileged position that sight not only occupies in our lives, but also in the way we conduct our research. But the world of this visual hegemony ceased to exist the moment the lights were turned off by our guide, who was non-Japanese but spoke impeccable Japanese, and whom we found out was visually impaired only halfway through our tour in the darkness. To be honest, navigating my way through our route in the dark was frightening in every sense of the word, and it was a severe discomfort that I could not get used to despite our guide generously sharing tips with us on how to feel the way ahead of us with our walking sticks. There was so much comfort in bumping into another participant, because that was the only reassurance that I was not alone in that blackened darkness. The dialogue that we had in the dark was hearing from our guide about his struggles living as a visually-impaired person in his home country and Japan, but rather than focus on the struggles, he had much more to say about how he hoped to continue doing research that would raise awareness of the struggles of the visually-impaired as well as his hopes for a society that had the potential to be so much more inclusive and understanding of these differences. There was so much strength and optimism as our guide spoke; it made a huge impact on me. The relief that I felt, and I believe the others shared, when our guide opened the door to let a tiny sliver of light into the room at the end of the tour, was incredibly uplifting. I had felt so lost in the darkness but yet that sense of disorientation had opened up the eyes of my heart to a whole new world I could never have imagined experiencing. It made me think about the Master’s thesis that I am writing, thousands and thousands of words about the affective qualities of Japanese television drama, but it was an aspect that would remain inaccessible and unrelatable to those like our guide, who, by the way, has a PhD. Alongside a more inclusive society in terms of our living environment, as researchers and members of the academic world, a more pertinent thought that occurred to me was wondering what we could do to make the way we do academic research more inclusive and accessible beyond just the realm of the visual? While I am still contemplating the answer to that question, for now, I hope that as many of us can attend this exhibition as possible, that our eyes may be truly opened to what we are missing as a result of a society that has been constructed around the privilege of sight.

 

以上