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日本科学未来館特別展「きみとロボット」訪問報告

佐野敦子(B’AIグローバル・フォーラム特任研究員)

・日時:2022年5月21日(土)
・場所:東京都お台場 日本科学未来館

2022年5月21日、B’AIグローバル・フォーラムは有志で、お台場の日本科学未来館を訪問し、特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」を見学した。同特別展は、B’AIグローバル・フォーラムの研究分担者である佐倉統教授(東京大学大学院情報学環)と江間有紗准教授(東京大学未来ビジョン研究センター)、そしてB’AIグローバル・フォーラムが属するBeyond AI研究推進機構でAIと発達障害当事者研究に携わる長井志江特任教授(東京大学 国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構)が、監修者として協力している。参加者はそれぞれで展示を見学後、佐倉教授と同館のサイエンスコミュニケーターとともに特別展の内容や科学技術の発展についてディスカッションを行った。

展示の構成を概観すると、まず多様な角度からロボットの歴史を捉えた展示があり、そのあとに「からだ」「こころ」「いのち」の3つのゾーンに分かれたメインの展示が続く。

ロボットの歴史の展示室には、壁一面にロボットの歴史を示した年表と、過去に開発されたロボットの実物が並ぶ。年表はロボットに直接関わる内容だけでなく、ロボットの研究開発に影響を与えたSF・アニメ作品、近年のAI技術の活用もふまえてまとめられており、この特別展が「ロボット」を非常に広くとらえていることがわかる。実物の展示からは、最初は二足歩行と簡単な会話の実現から始まったロボット開発が、わずかここ40年ほどの間に大きく進んだことがわかる。軽量化し、曲線を帯びるようになった形状だけでなく、機能面においても、ただ向上するだけでなく、産業用から、介護、ペット、案内役や音楽演奏など使用分野も用途も拡大していることが明らかである。

つづく「からだ」の展示では、人間の体の機能の追究がいかにロボット開発に影響を及ぼしているかがわかる。例えば、人間が脳波の指令をうけて関節と筋肉を動かすように、ロボットは「センサー」と通して、なめらかに動くことを目指してきた。現在は、障がいや高齢等での筋力低下を支える身体拡張のロボットだけでなく、腕を4つに増やしたり、尻尾をつけることでの身体機能の幅を広げる可能性も研究されている。

「こころ」の展示では、多くのいわゆる「ペットロボット」が展示され、ロボットとの「会話」や「ふれあい」を楽しめる。一方で、人とのコミュニケーションを引き出すために、思わず手を出したくなるようにわざと不完全な機能や見た目をした「弱いロボット」、細かな癖まで真似た本人そっくりのアンドロイドロボットも示され、ひとのこころはなぜ動かされるのか、人間らしさとはなにかと疑問を投げかける。

最後の「いのち」の展示では、多数の医療分野でのロボットの活用が示されるとともに、命の在り方や価値観をも変えうるテクノロジーの発展にどう向き合うか、という大きな問いかけがなされる。つまり、健康や命が支えられる一方で、肉体の死の後も経験や感情、知識はデータとして残る世界に生きている。そのデータを使って、死後も労働が続いたり、亡くなった芸術家や作家のデータを活かして新たな作品が生まれるかもしれない。そして、こうした倫理的な観点と、人とロボットの未来はどのようになるのがよいのか、という疑問を突き付けられ、見学者は展示場を後にするつくりになっている。

その後のディスカッションでは、まず企画の意図について、未来館側から説明がなされた。

今回の特別展は未来館のオリジナル企画で、ロボットを通してあらためて「人間とはなにか?」を考えてもらいたい、そしてロボットだけではなく多様な科学技術をとおして、お互い幸せになるような社会をどうつくっていくのかを一緒に考えていきたい、という思いが込められている。

展示をみた感想を交えながら行ったディスカッションの論点は主に3つとなる。ひとつめは、社会の認識の変化を見据えたミュージアムの展示の工夫、ふたつめはロボットの形状にあらわれる社会背景、そして3つめは科学技術の発展の背景にある力への対抗について、である。

 

1 社会の認識の変化とミュージアムの展示

 

日本科学未来館は2001年の開館時にもロボットを題材にした特別展を開催している。今回はそのとき以来、約20年ぶりにロボットだけをフォーカスした特別展となり、ここまで大規模に130体のロボットが集められたのは初めてのこととなる。

社会の状況やロボットの見せ方のコンセプトも開館時と比べて変化している。例えば、ロボットが二足歩行しただけで驚きをもって迎えられた当時に比べ、いまは社会でロボットをどう使っていこうかという視点にかわっている、との言及があった。そのためロボットを通して私たちはどうつきあっていきたいか、という意味を込めて「きみとロボット」という特別展のタイトルになったそうである。

そうしたコンセプトを展示として実現させる工夫についても何点か共有いただいた。産業用のロボットよりは、そういうことを考えるきっかけになるようなソーシャルロボットやペットロボットを集めたこと、AIやVRなど周辺の技術も紹介してロボットの定義を広く捉えていること、デジタルクローンのような実態をもっていないものも扱うといった点である。

AIを扱ったことについては、ミュージアムという場の意義に絡めた言及もあった。AIの技術発展の背景にはエンターテイメントや商業的な圧力が強く、放っておいても進んでしまうという危機感もある。一旦立ち止まって考えようといえる場所はミュージアムなのではないか、という意見も印象的であった。

また、ポジティブな未来像をもってほしいというわけではなく、必ずしもロボットと生きていくロボット共生社会を訴えるわけではないという点にも共感した。例えば、こうした技術から距離感を保ちたい人もいる、そうした人を社会から排除しないにはどうしたらいいかということを考えるきっかけとして、フランス国立自然史博物館提供の映像もいれたり、展示の要所要所で問いを投げかけるなど、構成にも配慮したそうである。

 

2 ロボットの形状に現れる社会背景―日本のジェンダーとヒト型

 

ロボットの形状については大きく2つの点で意見交換がなされた。ひとつは、ロボットの形にジェンダーが反映されること、そして機能だけを追求すれば不必要な場合もあるのになぜヒト型になるのか、という点である。

ロボットの形状とジェンダーについてはすでに多くの議論がある。特に開発現場は圧倒的に男性が多く関わっているのは事実であり、日本のジェンダーギャップという社会の課題が写し鏡のように社会技術に反映されている、という認識は双方とも一致した。展示では、こうした視点からみると疑問を抱くようなロボットも並んでいる。スカートをはいた形の家事に近い作業を行うロボット、AIさくらさんのような性的分業が再生産のようになっているヴァーチャル・エージェントなどである。だが、こうした形状に隠れたジェンダーについて考えたいという課題意識はB’AIグローバル・フォーラムと共通であると感じた。

機能面の追究とヒト型の希求との関連については、なぜ頭部をつけるのか、という問いで議論が進んだ。結果として、人間とのインターアクションがあるかないかが、ヒトのように頭をつけるかどうかの要因ではないか、工場など人と接しないロボットは必ずしも頭がない、ということで落ち着いた。加えて開発者の先入観の影響についても話が及んだ。ロボットの形状からは、開発者が育った世代に流行したアニメーションや漫画の画と類似する点が垣間見られる。コミュニケーションを促すために、わざと機能を不完全にした「弱いロボット」も、宮崎アニメのキャラクターを思い起こす。

 

3 科学技術発展の背景とこれから

 

ロボットの形状の議論をさらに深めていったところ、日本と欧米のロボットの捉え方のみならず、背景にある日本社会の特徴にも触れていくことになった。

「弱いロボット」のように、あえて機能を減らすような開発は、海外でもみられるのか、という問いかけに、海外では基本的に強くするので、あえて弱くするという発想はいまのところみられないという意見があった。弱いロボットは日本社会の優秀であらねばならぬ、というある意味他者に不寛容なところを変えられるかもしれない、つまりなにかしてあげることで幸せになる経験をもたらすことで、他者にも自分にも寛容になり、できないことを補い合う社会にする機能があるのかもしれない、という意見も出た。

そして「可愛い」ロボットが外国には少ないというのは、開発の目的に軍事的な資金が使われているのがおそらくあるだろうという指摘もあった。展示からもわかるように、日本のロボット開発は、産業界が担ってきた。自動車産業による二足歩行をするロボットから、製造業によるペットロボット、そして携帯電話等通信業による感情認識するロボットへと移り変わる様子は、日本の主要産業の変遷とも重なる。そして、平和利用の医療目的や災害や復興時の活用に積極的に言及している。

AIをはじめとした最新技術の軍事利用の議論は日に日に大きくなっている。日本は、こうした潮流に対し、これからどのような道をとるべきなのだろうか。今回の特別展では、軍事利用については触れられていないが、いまの技術開発の先に必ず待ち受ける大きな課題であること間違いない。特別展の趣旨は、ロボットだけではなく多様な科学技術をとおして、お互い幸せになるような社会をどうつくっていくのかを一緒に考えていきたい、とのことであった。多くの人たちとともにこの議論を進めていくこととは、平和利用のもとに展開した日本のロボット開発を振り返りながら、科学技術の発展が恩恵をもたらす道を考えることだけに留まらない。多くの人間の幸せが失われる戦争につながらない道を模索することでもある、と感じた。