REPORTS

第24回 B’AI Book Club 報告
クィア・デジタルアーカイブに関する3本の論文

武内 今日子(B’AI特任助教)

・日時:2023年11月28日(火)13:00-14:30
・場所:ハイブリッド(B'AI オフィス & Zoomミーティング)
・使用言語:英語
・論文:
① Cover, R., 2019, "Memorialising queer community: digital media, subjectivity and the Lost Gay # archives of social networking," Media International Australia, 170(1): 126-135.
② Watson, A., Kirby, E., Churchill, B., Robards, B. & LaRochelle, L., 2023, “What matters in the queer archive?: Technologies of memory and Queering the Map”, The Sociological Review, 1-19.
③ Schram, B., 2019, "Accidental orientations: rethinking queerness in archival times," Surveillance & Society, 17(5): 602-617.
・評者: 武内今日子(B‘AI特任助教)

2023年11月28日、第24回「B’AI Book Club」が開催された。今回は、クィア・デジタルアーカイブに関する経験的・理論的な検討を加えている3本の論文の内容を紹介し、クィア・デジタルアーカイブにいかなる可能性と限界があるのかを全体で議論した。

まず、一本目の論文、Rob Cover(2019)では、FacebookをプラットフォームとしているLost Gayアーカイブスを事例として、デジタル・クィアコミュニティがどのように情動的につくられ、それが個々人のアイデンティティ形成につながっているのかが検討されていた。デジタル・アーカイブは、実際の場所と結びつくアーカイブの資料をデジタル保存したものとは限らない。Lost Gay MelbourneなどのLost GayアーカイブスはFacebookのグループを基盤としており、メンバーが様々なクィアな写真や出来事を共有し、タグやコメントをつけてその解釈を更新していくという相互作用のあるデジタル・アーカイブである。

こうしたソーシャル・ネットワーキングを用いたアーカイブでは、既存のアーカイブと連携するために、場所や時間を記録するルールや、排除的な投稿がなされないようにするためのルールが共有されているという。また、アイデンティティとの関係では、このアーカイブを通じてシンボリックな文化が共有されることでLGBTQコミュニティへの帰属意識が生まれている。さらに、このアーカイブは特定の歴史を固定化させる可能性と、コメントを付けるような相互作用によって新たな解釈をおこない異なる記憶や想像力につながる可能性がどちらも生じている。このようにRob Cover氏は、このアーカイブを利用する人々がどのような経験をしているのかを緻密に描き出そうとしている。

対して、二本目のWatson et al.(2023)は、Lost Gayアーカイブスとは異なる特徴をもつQueering the mapというアーカイブを事例として、そこに寄せられたコメントや利用者へのインタビュー・データを分析した論文である。共著者には、まさにQueering the mapの作成者であるLucas LaRochelle氏も含まれている。Queering the mapは、世界地図の特定の場所を指定し、クィアな経験を自由に記録することができるオープンなアーカイブである。投稿は匿名でよく、場所や時間を記録する必要もない。興味深いことに、人が住めないような海の上や高い山にも多くのナラティヴが寄せられている。その含意を著者らは論じていなかったが、遠くに住む人への心理的な距離の近さを表現していたり、「ふつうの」場所にはいまだクィアたちが安心して語れる場所がないことを示していたりと、固有の実践を可能にしていると考えられる。

著者らはまず、このアーカイブに参加することで、私たちは小さい頃の出来事や自らのクィアネスを自覚した瞬間を場所と結び付けて思い出すことがあるという。また、特定の場所をクィアなものとして(再)発見することで、たとえば田舎などこれまでクィアたちがほとんど存在しないと考えられていた場所をとらえなおすことも可能になると論じられている。もう一つの特徴として著者が挙げるのは、このアーカイブにおいて毎日のなにげない出来事が取り上げられていることだ。既存のアーカイブでは特別なイベントや政治的な活動に焦点が当てられがちだが、非規範的な性を生きる人はどこにでもいて、その日常的なクィアネスも記録に値すると評価することで、このアーカイブはまさに地図をクィアしているのである。

三本目の論文であるBrian Schram(2019)は、これら二本の経験的な研究とは異なり、データが粒子のように細かに分割されていくデジタル空間において、いかにクィアネスが生き残ることができるのかを検討する理論的な試みである。まずSchramはクィア概念について、既存のジェンダー/セクシュアルな規範や社会的なカテゴリー化に対して根本的な異議申し立てをおこなう視座として位置づけ、それはLGBTQのアイデンティティ・ポリティクスとは異なることを説明する。しかし、デジタルな監視社会(Surveillance society)において、こうしたクィアネスは危機に瀕している。なぜなら、ビック・データ分析は、主体を均質な粒子状にカテゴリー化し、そこに間隙を生み出さないという特徴があるからだ。さらには、商業的なプラットフォームにおいて、実際にはバイナリーな構造をもつ「クィアネス」が意図的につくり出されている。たとえば、Facebookにおいて一見多様なジェンダー・アイデンティティの選択肢があるが、より深いアルゴリズムの階層ではそれが男・女・その他というたった3つのカテゴリーに割り振られてしまうという。

こうした状況において、著者がより可能性を感じているのは、アルゴリズムが“誤って”ストレートかもしれない人々を同性愛者として割り振るような、デジタルなカテゴリー化が推進された結果偶然に生み出されうるクィアネスである。もちろん、アルゴリズムに直接に干渉しにくい私たちに、その結果をコントロールすることは難しい。しかし私たちは、排除されてもなお残っているクィアとしての集合的な記憶、あるいはメランコリアを持ち込むこと、データをより曖昧でアルゴリズムにとって扱いにくくする難読化、私たちのSNS等のデジタル・アイデンティティを集合的なものとして捉え、個人アイデンティティから切り離すグループ・アイデンティティ、自己を複数化していくクローニングといった、様々な実践をおこないうる。それによってデジタル・アーカイブに混乱をもたらすことに著者は可能性を見出している。

全体の議論では主に、具体的なそれぞれのデジタル・アーカイブ化の事例にどのような可能性と限界が見られるかが、Schram(2019)との関係から検討された。たとえば、Queering the mapのアーカイブはいかなる意味でアーカイブと言えるのか。Queering the mapに寄せられる投稿には、名前や時間などの通常多くのアーカイブに載せられるような情報がないことが多い。しかし、だからといってこのアーカイブに信憑性がなく意味がないというわけではない。Queering the mapは、狭い意味でのエビデンスに基づくのではなく、参加する人たちが、大量に配置されたナラティヴと自らの経験を重ね合わせていくプロセスが重要となるような「感情のアーカイブ」だと考えられる。同時に、これは作り手であるLucas LaRochelle氏が、時間の流れが直線的でアイデンティティ・カテゴリーに根差し、作り手がコントロールしやすい既存のアーカイブに対して異議申し立てしようとする理論的な実践でもある。

関連して、アーカイブという概念が各論文で異なる意味で用いられていることも議論された。はじめの2本の論文では、「アーカイブ」はクィアな個々人のコミュニティ・アーカイブのことを含意することが多い。しかしSchramの論文では、「アーカイブ」はデジタル環境における情報の蓄積といった、より広い意味で用いられ、特定のカテゴリーや時間的流れを自明とするようなアーカイブ概念に対して抵抗しているようにも思われた。

このように本書評会は、デジタル・アーカイブのもつ情動的で相互作用的な特徴を学び、コミュニティ・アーカイブとクィアネスとの緊張関係を認識し、それによってデジタル・アーカイブ論を異なる視座にひらくことにつながるような実り多い機会となった。