REPORTS

李靜愛(Lee Chong-ae)氏講演会
「韓国の記者がトラウマについて話すようになるまで」報告

河原理子(東京大学大学院情報学環 特任教授)

・日時:2025年1月25日(土)14:00-16:45
・場所:Zoomウェビナー & 対面(東京大学情報学環ダイワユビキタス学術研究館・大和ハウス石橋信夫記念ホール)
・使用言語:韓国語、日本語(逐次通訳)
・講演者:李靜愛(Lee Chong-ae)氏(韓国ジャーナリストトラウマ委員会 委員長)
・司会:河原 理子(東京大学大学院情報学環 特任教授)
・開会挨拶 : 板津 木綿子 (東京大学大学院情報学環 教授、B’AIディレクター)
(イベントの詳細は こちら

Trauma Reporting 研究会は、2025年1月25日、韓国の「ジャーナリストトラウマ委員会」委員長で、放送局SBSのジャーナリストである李靜愛(Lee Chong-ae)さんを東京大学に迎えて、公開講演会「韓国の記者がトラウマについて話すようになるまで」を開き、ウェビナーで配信した(期間限定で後日視聴あり)。同委員会は、「ジャーナリストトラウマガイドブック 1.0」を2023年に公表している。

冒頭、司会の河原が、「トラウマ、つまり心に深い傷を負った人の話をどう聞いて社会に伝えるかというテーマは、災害、戦争、虐待などに共通する大切な課題だ。トラウマ認識は人間の深い理解につながる」と説明。「その手がかりを形にした韓国報道界の知見を共有したい」と企画意図を話した。

 

◾️李さん自身の関心 : 性被害を受けた子どもの取材をきっかけに

李さんは1995年に韓国3大民放局のひとつSBS(Seoul Broadcasting System)に記者として入り、現在は中長期的な課題を扱う「未来チーム」に所属し、副局長を務めている。

記者4年目のときに、新しい報道番組「ニュース追跡」に配置され、約5年間担当。このときの経験が、最初の転機になったという。

「ニュース追跡」は理想的なジャーナリズムに近いと思い、喜んで参加した。が、実際の取材は、アメリカでドラッグパーティーに潜入したり、韓国で川に流された乳児の遺体を追うなど、危険もあった。当時は取材者が負うリスクは説明されておらず、危険な取材や死に接する取材に対する教育が必要だと感じるようになった。

さらに、この番組で、性犯罪の被害にあった8歳の女の子を取材したことがきっかけで、トラウマに強い関心を抱くようになった。その子は助けが必要な危うい状態に見えた。このような取材相手を助けられないならこの仕事に何の意味があるかと思い、李さんは児童精神科のある病院を探し出したが、まだ精神科に偏見の強い時代で、家族は子どもをすぐ退院させた。

李さんは、「相手を助けられないのなら、自分は相手を利用しただけではないのか?」と罪悪感を抱くようになった。「記者が接近したときに、相手はどんな体験をしているのか、どんな状態にあるのか、自分は一度でもちゃんと知ろうとしただろうか」と自問を重ね、異動後に夜間大学院に通い始めた。心理学の先生や、性暴力被害者の支援組織を訪ねて、どういう質問の仕方が危険で、どういう聞き方なら役に立つのかなどを確かめていった。

そして、「ニュース追跡」で取材した人たちと、他社の取材に応じた被害者家族の計10人に改めてインタビューした。取材に応えて話すこと自体に苦痛が伴うことや後で体調が悪くなる人がいることを知った一方、報道の結果たとえ社会制度が変わらなくても、周囲の人から理解や支援を得られるようになることで、他者や世界に対する態度がポジティブに変わる人たちがいることもわかった。

2011年、記者16年目にDart Center for Journalism & Traumaが1週間のアジアフェローを募集していることを知って、参加した。苦しかった体験を各国のジャーナリストと話してみると、みな似た体験をしていて、個人の問題ではないことがわかった。また、トラウマ反応は脳のホルモンの変化によるものであって、意志の強弱とは関係ないことも知った。記者もトラウマを負うが、当時韓国では「その記者が弱いから」とみなされていた。そうではなくて、異常な出来事を見たり体験したりして起こる正常な反応なのだと理解することができた。

さらに2013-14年、ハーバード大学のニーマンフェローとして「ジャーナリズムとトラウマ」について学んだ。これらは、個人的に勉強してきたものだが、帰国後に放送記者協会から講義を依頼されて、ほどなくセウォル号事件が起きた。

◾️韓国社会で「トラウマ」が注目を集める: 2014年のセウォル号沈没事故

2014年にセウォル号沈没事故があり、乗船していた多数の高校生らが犠牲になった。この惨事をきっかけに、韓国社会で「トラウマ」「PTSD」が注目されるようになった。

伝統的な報道機関だけではなく、オンラインメディアや一人メディアなどあらゆる形態のメディアの人間が集まって熾烈な競争を繰り広げた初めての事件でもあった。ひどい競争があり、報道倫理を無視した人もいた。また、初期に「全員救出」と、ほとんどのメジャーなニュースが事実と違う速報をしてしまい(関係組織に確認した上での報道だったが)、市民の不信が高まって、韓国語で「記者」と「ゴミ」を合わせた「ギレギ」という言葉で非難されるほどになった。

李さんは、Dart Centerからウェブサイトに記事を書くよう求められて、セウォル号事件を取材したSBSの記者10人に、今後どのようにしたらよいか意見を 聞いて、得られた教訓を記事にした。犠牲者や生存者の家族らのトラウマ反応を記者もよく認識した上で臨んだ方が良い、などの話が出た。
https://dartcenter.org/content/chong-ae-lee-on-koreas-national-tragedy

また、このとき、それまでとは違う惨事報道が試みられるようになった。CNNは、泣いている親たちの様子を、姿は映さずに声だけ流した。SBSは生存者が登校したときにイラストで報じた。絵でよいのかという議論はあったが、ストレートな映像を使わなくても悲しみは伝えられることがわかった。

この後、放送記者協会が主催して、セウォル号事件の被害者家族とジャーナリストが、率直に話し合う懇談会を持った。そこで家族たちの実際の体験を聞き、助言を求めた。「言葉ではとても表せないのに、『今のお気持ちは?』と聞かないでほしい」「焼香場で線香をあげてくれた記者もいて、人を悔やむ気持ちがあると感じられた」「身元を明かさずに質問してきた人が記者だとわかって裏切られた気持ちがした。最初に説明してほしい」などの話が出た。ジャーナリストは、相手が無力感を強めることがないように、回復に資するように、新しい質問の仕方を考えなければならない。

取材はどのように変われるのか、さまざまな試みがなされた。

2015年には、放送記者協会が、李さんの助力で、Dart Center Asia Pacific (メルボルン)の当時の代表で心理学者のDr. Cait McMahonを招いて、セウォル号の家族を支援し、ジャーナリスト向けワークショップを開き、2017年にはトラウマに関するジャーナリスト向け動画教材を作った。そして2019年から4年に一度、放送記者協会からDart Center Asia Pacificに韓国の放送ジャーナリストを研修に送り出している。

◾️8割が仕事でトラウマを経験 : 2021年ジャーナリスト調査

セウォル号事件の後、放送記者協会と韓国報道財団が、新人や惨事取材をする人に研修をするようになった。が、教育効果など基礎的なデータがなかったので、グーグルニュースイニシアティブとDart Center Asia Pacific、韓国女性記者協会、韓国記者協会が、2021年に初の「ジャーナリストとトラウマ」調査をした。
https://dartcenter.org/resources/eight-out-ten-korean-journalists-report-work-related-trauma

すると、78.7%が、仕事中にトラウマを経験したと回答した。性差はほとんどなかったが、性暴力の取材だけ、トラウマを経験した人が、女性は63.0%いて、男性30.1%の2倍だった。

また、オンラインハラスメントを受けたことがあると答えたジャーナリストが77.9%にのぼった。韓国では政治的対立の激化に伴って、取材者が攻撃されることが多くなり、最近は、ソーシャルメディア上のハラスメントのみならず、YouTube の中継で攻撃されたり、実際に街頭やデモのときに身体的な暴力を受けるところまで来ている。時には政治家が、自分に好ましくない報道をする記者を支持者に示唆して、攻撃を誘発するかのような動きも見られる――報道が事実であっても。法的支援が必要だ。

調査結果を受けて、さらにできることを考え、「トラウマガイドラインをつくろう」と記者協会、放送記者協会、女性記者協会が合意して、2022年にジャーナリストトラウマ委員会をタスクフォースとして結成。私が委員長についた。

その間、医学会でも、セウォル号事件をきっかけに被害者の心理的支援が強く求められるようになり、2018年に国家トラウマセンターが発足し、全国5か所の地域センターもつくられていた。ここの精神科医などは、最初は記者を加害者としてのみ扱ったが、惨事報道のガイドラインをつくるために毎月会って、報道の仕事について説明して悩みを話すうちに、理解が深まった。そして、惨事の第三次経験者として、警察官や消防士に加えて記者を挙げてくれるようになり、そのおかげで報道機関が記者のトラウマにも関心を示すようになり、カウンセリングを支援するようになった。

ただ、実際にカウンセリングに行くと、いまだ報道の仕事がよく理解されずに「かえって傷つく」という声もあり、ジャーナリストが負うトラウマや心の健康について、精神科医や心理職の人たちと話し合う場を持ち続けている。メンタルヘルス専門家との協働は必要だ。心理学者、精神科医、トラウマティックストレス学会、放送記者協会……すべての協力があって、今に至っている。

2023年に韓国の放送ジャーナリストが2回目の研修でDart Center Asia Pacificを訪ねたとき、オーストラリアの公共放送局ABCで、仲間同士のピアサポートの制度を10年かけて定着させてきたことを知った。韓国でも今、ピアサポートの実験をしている。

この間、2022年にはソウルの梨泰院で雑踏圧死事故が起きたが、セウォル号事件のときとは違う報道をしようという努力があった。

ジャーナリストがトラウマを意識することが、なぜ大切なのか。トラウマを認識することができれば、より健康的でより良い取材報道ができる。

それに、ジャーナリストをトラウマから保護できなければ、良い報道が減ってしまう。市民の言論表現の自由の侵害につながる問題でもある。

◾️質疑応答

李さんの現在の「未来チーム」の業務とトラウマ関連の仕事との関係、職場の支援などについて質問が出た。また、トラウマを認識したジャーナリストの活動が、どのように市民の言論表現の自由に関係するのかを問われて、李さんは、悲惨な事件の取材を続けてPTSDを発症したオーストラリアの新聞記者が、新聞社を提訴して2019年に勝訴した例を説明した。

その記者は、異動を希望したが、いったんは異動がかなったものの、また事件の取材に戻された。彼女は複数の賞を受けた優秀な記者だったが、PTSDが悪化して退社を余儀なくされた。そのように、より深く取材報道しようとする記者が減れば、市民が必要な情報を得にくくなる、と李さんは説明した。

新聞社が彼女にトラウマに関する適切な教育をしていなかったことが、原告勝訴の理由の一つだと、李さんは話した。