REPORTS

第19回 B’AI Book Club 報告
Neda Atanasoski and Kalindi Vora, Surrogate Humanity: Race, Robots, and the Politics of Technological Futures (2019)

武内 今日子(B’AI Global Forum 特任助教)

・日時: 2023年5月23日(火)13:00-14:30
・場所: ハイブリッド(B ‘AIオフィス&Zoomミーティング)
・言語: 英語
・書籍:Neda Atanasoski and Kalindi Vora (2019) Surrogate Humanity: Race, Robots, and the Politics of Technological Futures , Durham: Duke University Press.
・評者: 板津木綿子(東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授)

2023年5月23日、B’AIグローバル・フォーラムのプロジェクトメンバーによる書評会「B’AI Book Club」第19回が開催された。板津木綿子教授が、Neda AtanasoskiとKalindi Voraの著書『Surrogate Humanity: Race, Robots, and the Politics of Technological Futures』(2019)を紹介した。

はじめに、板津教授が本書の内容を要約し、その後全体議論へと進んだ。本書は、アメリカの大学教授であるNeda AtanasoskiとKalindi Voraによって著された。現在様々なロボットが用いられており、とりわけAIの登場によって、テクノロジーが人間を新たな次元で解放するというテクノリベラリズムという考え方が広まっている。しかし著者らは、テクノリベラリズムには慎重であるべきだと述べる。ロボットは人種やジェンダーにおける人間の代理として作動することを通じて、人種的資本主義を強化しているというのが著者の基本的な主張である。これらの技術的な代理は、一部の人が人間未満とされた人びとを犠牲にしており、そうした植民地主義的プロジェクトが技術に組み込まれてしまっているというのである。その唯一の解決策は、知性を脱植民地化していくことにある。

本書の各章は、以下4つのテーマに分かれている。すなわち、仕事の自動化、人工知能の共有という社会主義的なエートス、感情移入可能なロボット、戦時中の機械の自律性である。扱われる事例も、工場でのロボットやソーシャルロボット、殺人ロボット、セックスロボットなど多岐にわたる。

これらの主題に共通するのは、人と機械との関係は主人と奴隷の関係性を反復しており、機械が人に従順である限りにおいて、この代理の人間は祝福されるということである。こうしたロボットやAI技術を用いる知性に関して支配的なのは、効率性や合理性の論理であり、これを捨てない限りフェミニストAIもありえないと著者は述べる。

他方で、支配的な概念に対抗するような実践も紹介されている。たとえば、さまざまな種類の婦人科系の健康技術を3Dプリントして、医療費を払わなくても使えるようにするといった、フェミニストがテクノロジーを公平のために使う取り組みがある。加えて、ドローンの自撮りは、戦争のないドローンの存在意義がなくなった世界で、ドローンが他人を監視するために他人に仕えることをやめ、自分自身を見つめ始める様子を示している。

板津教授は本書を、一方では人種的偏見やアルゴリズムによる偏見とそれが疎外された人々の日常の具体的な経験に焦点をあてる以上に、啓蒙主義以降の西洋文明の持つ問題点を浮き彫りにしようとする試みとして評価する。しかしそのうえで、いかにして西洋文明のパラダイムを変えることができるのか、抵抗の実践は現状批判以上の意味をいかに持ちうるのか、欧米のアングロサクソン系による労働における他者の搾取を前提とする本書の議論をいかにして日本での実践に活かすことができるのか、といった疑問も提起された。

全体議論ではまず、知的合理性と男性性の結びつき、身体と女性性の結びつきの伝統的な議論がいかにAIの登場によって再定義されているのか、二元論の乗りこえがAI利用の新たな側面を考えることにつながるだろうか、という問題提起がなされた。これについては、ロボットが知能だけでなく身体としての側面を持ち、AI利用とジェンダーとの結びつきはそれを設計する人びと次第であるが、現状では男性が主たる設計者となっているという指摘があった。そのうえで現在において、抑圧する側とされる側の境界が、私たちがソーシャルメディアに参加するといった様々な側面でテクノロジーを用いるとき、曖昧化されているという困難も議論された。

加えて、国による違いという点では、日本における家事労働についても議論された。本書はアメリカの事例に基づき、「Alfred」などの家事ロボットが人種化・ジェンダー化された労働者による家事労働を不可視化しており、その仕事をしている人びとの価値を下げていると述べる。ただし日本では、介護において子どもの役割が重視され、ロボットにケアワークはできないと考えられることがある一方で、高齢者がソーシャルロボットを好む側面もある。それゆえ、本書の議論を適用する際は文化による状況の違いを検討する必要があるが、いずれにせよロボットが中立的な存在として扱われることで、人種や民族、ジェンダーにおける他者性を消し去ってしまうことが確認された。

このように、アメリカの事例を中心としつつも、AI技術にジェンダー化や人種資本主義が内在するという課題を広い射程で提起し、効率性や合理性の論理を乗り越えた知性の必要を唱える本書は、AI技術の魅力と危険の双方が報じられる現在読むべき一冊だと言えよう。