REPORTS

第17回B’AI Book Club報告
James A. Banks, Cultural Diversity and Education: Foundations, Curriculum, and Teaching, 6th Edition (2016)

大井 将生 (B’AI Global Forum リサーチ・アシスタント)

・日時・場所:2023年2月28日(火) 17:30-19:00 (JST) @Zoomミーティング
・使用言語:日本語
・書籍:James A. Banks (2016). Cultural Diversity and Education: Foundations, Curriculum, and Teaching (6th Edition). Routledge.
・評者:大井将生(B’AIリサーチ・アシスタント)

2023年2月28日、B’AI Global Forumのプロジェクトメンバーとその関係者が参加する書評会「B’AI Book Club」の第17回がオンラインで開催された。今回は、リサーチ・アシスタントの大井将生が、ワシントン大学多文化教育センターの創設ディレクターで社会科教育・多文化教育・ダイバーシティ教育・シティズンシップ教育の専門家であるJames A. Banksの2016年の著作『Cultural Diversity and Education : Foundations, Curriculum, and Teaching (6th Edition)』を紹介した。

教育機関が人種や民族の関係を改善する方法を論ずるバンクス教授の研究は、米国および世界中の学校、大学に大きな影響を与え、教授は「多文化教育の父」とも呼ばれている。今回取り上げた書籍はそんなバンクス教授の代表的な著作の一つとして位置付けられている。

本書は、多文化共生教育の概念的・理論的・哲学的な問題についての背景を提供するテキストであり、教育現場の実践的な視座にまで言及されている点に特徴がある。冒頭の章では、著者のバンクス教授によって、広く使われている「多文化教育の次元」という概念が提示されており、多文化教育の様々な要素がどのように相互に関連しているかを理解することができる。また、グローバルな世界での多文化教育の潮流と開発は、学生を言語・民族・国家等のひとつのコミュニティ内の「良き市民」(competent citizens)として育成しようとする概念への挑戦であるとする説明がなされたのち、多文化教育の次元・歴史・目標について論じられる。全体として、教育と多様性に関する概念的・哲学的・研究的問題を提示することでカリキュラムと教育に関わる問題を検討し、ジェンダー平等・障害・才能・言語の多様性に注目したグループ間関係と教育と学習の原則に焦点を当てた議論が展開される構成になっている。

大井RAからは新版(6版)で改訂された第14章「多文化社会における教育と学習の原則」にフォーカスした論点提示がなされた。第14章では、多様な人種、民族、文化、言語からの生徒の学業成績と社会的発達を高めることを目指して、教育と学校を改革するための研究に基づくガイドラインが提示されており、その中で「教師の学び」「生徒の学習」「グループ間関係」「ガバナンス」「評価」というようにアクターごとの視点でまとめられている。

論点として、本書が対象としている米国と日本における文化的・制度的な差異を抽出した上で、参照できる点と同じフレームを直接的に導入することが難しそうな点はどこにあるのか、という問いが提示された。例えば、アメリカではカリキュラムや教育ユニット、教科書の中で、生徒たちがしばしば歴史上の出来事や概念、問題を片側の視点からのみ、あるいは主に勝者の視点から学んでおり、敗者の視点は、しばしば沈黙させられ、無視され、周辺化される。一方の視点だけで語られている歴史の継承は、日本でも共通する論点ではないかと示された。一方で、米国を構成する多様な集団にとって、概念や問題が持つ意味の違いや、しばしば相反する意味を生徒に教えることは、国家の誕生、成長、発展に貢献した複雑な要因をよりよく理解させ、さまざまな集団内で規範とされている視点や考え方に共感し、批判的に考える力を高めるのに役立つという本書の主張も論点とした。それに関しては、批判的思考力の育成については日本でも参照可能であるものの、国民が忠誠を誓う統一された国民国家を作るための方法としての国家観育成という点は必ずしも国内での援用にマッチしない側面もあることについて議論がなされた。

大井RAによる導入のあとは、この書籍についての感想、および参加者の研究関心に紐づけて議論が展開された。まず、各国での留学経験が豊富な参加者達から、本書の背景として暗黙知となっている米国の理念がいかに日本と異なるのかという点が明確にされた。また、米国の他にもドイツにおける文化的・歴史的背景に起因した教育制度についても言及がなされ、米国・日本・ドイツの比較を通してそれぞれの多文化教育に関する共通点や相違点、そのことの影響についてシカゴ学派の移民のフレームワークなども参照しつつ議論がなされた。

例えば10章「意思決定と社会的行動の教授法;社会変革のためのスキル」における教員の立場について述べられた視点で内から外、外から内といった流動的な教授法に関する視点を文化的背景の差異と学術的な知見の差異などを鑑みて日本における教授場面に落とし込んで考えることの面白さについても言及された。その上で米国教育制度の特徴としての埋め込まれたプロパガンダの習慣化、教育委員会のあり方や予算配分、経済格差や教員の待遇、私立と公立の差異を抑えた上で日本社会での問題点を浮き彫りにしていくことの重要性が示唆された。とりわけ、日本の公立学校において多様な国籍・背景を持つ子ども達が増えてきている中で、無自覚な同化主義がもたらす子どもたちへの影響やジレンマにどう向き合い、多様な立場の子どもたちが自分たちの言語や文化を周縁化されずに大切にしていけるのかという点を制度的に保障していく国・自治体レベルの政策が必要であると同時に、メディアの力や作用についても検討を進める必要性があるとの意見が出された。

最後に、本書では直接的にはデジタル・AI・テクノロジーという視点での論考は見られないものの、多文化教育がAI社会×デジタル社会×ジェンダーという視点でいかに議論できるのか?その視点がもたらし得る利点とは何か?本BAIRALプロジェクトでその視点に基づいた具体的なアクションにいかに取り組むことが可能か?という提示がなされ、今後の検討事項として紡がれた。