2020.Dec.01
REPORTS国立歴史民俗博物館「性差の日本史」ツアー 報告
田中 瑛(東京大学大学院学際情報学府博士課程、B’AI リサーチアシスタント)
日時:2020年11月23日(月)
場所:国立歴史民俗博物館
主催:東京大学Beyond AI研究推進機構B’AIグローバルフォーラム
2020年11月23日(月)、B’AIでは、国立歴史民俗博物館(以下、歴博。千葉県佐倉市)を訪れ、企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」を観覧するバスツアーを開催し、計24名の研究者・学生らが参加した。当日は、距離を空けて私語を控えるなど、新型コロナウイルス感染症拡大に対する最大限の予防対策を行いながら行動し、11月30日(月)には参加者有志によるオンラインでの意見交換も改めて行われた。
同展示は、歴博の共同基盤研究「日本列島社会の歴史とジェンダー」(2016年~2018年)の成果物を元に企画されている。「性差」の社会的構築性は学際的な観点から問題化されてきたが、歴博が「性差」を企画展示で取り上げるのは初めてのことであり、SNSなどを通じて画期的な取り組みであると話題にされている。
実際に展示を見ると、古代から近現代という流れを意識させる7部構成であるが、その中に、「政治空間における男女」、「仕事とくらしのなかのジェンダー」、「性の売買と社会」の3つのテーマが設定されている[1]。古代の生活空間では女性の首長も多く見られるなど[2]、性差が未分化であったにもかかわらず、次第にあらゆる公的空間において性差に基づく区分が導入され、女性が不可視化され、排除され、時には商品化されるようになった。そうした過程が実際の史料を通じて検証され、公表されたことは、誰もが自分達の社会の問題としてジェンダーを考えるための重要な一歩である。こうした展示を見ると、確かに「性差」に基づく役割は構築されたものであり、私達が日常生活でイメージする「性差」も決して本質的なものではないことが分かる。
参加者の間で特に印象深いものとして語られていたのが、第6章に設けられた「性の売買と社会」の展示である。性を売る女性は9世紀後半から現れるが、15世紀後半以前までは女系の家と結び付いた自立的な職業集団だった[3]。ところが、江戸幕府の統制下において、遊女屋や女衒など特定の集団に人身売買の権利が認められ、新吉原遊郭のような遊女町が各地に設置された[4]。そうした売春制度は、明治新政府の芸娼妓解放令で人身売買が違法化した後も、公娼制度として社会的に正当化され、継承されていく[5]。公娼廃止案も遊郭がある選挙区の議員によって反対され、1930年代後半には3000万人を越す男性が遊郭で女性を買ったというのだからなかなか衝撃的である[6](1930年代の男性人口は3200~3500万人ほどである)。こうした政策は、性欲管理を通じて男性を支配する手段として機能していた。そして、「自由意思」の名分に基づき、娼婦への事実上の冷遇(例えば、遊客には義務化されていないにもかかわらず、梅毒検査が公娼負担の賦金で義務化された)もを正当化した[7]。このことは、どのような権力関係が性差を生み出し、商品化したのかを考える上で重要な知見だと感じた。
観覧後、基盤研究企画者の横山百合子先生から企画に至るまでの経緯の説明と議論の機会を頂いた。そうした中で、歴史研究と現代の論争的な問題との関わり方について、いくつかの課題が残されていることについても議論した。例えば、断片的な史料から当時の社会的事実を一般化することが困難であるという制約がある。この点は、膨大な史料がオーディエンスにとって必ずしも「分かりやすいもの」とは映らないという難しさを含んでいる。また、近現代史を専門とする研究者が少ない点は以前から指摘されており、確かに、実際の企画展示でも1960年代以降はほとんど対象とはされなかった。「歴史」を過去として外在化せず、現在と地続きのものとして考えるためには重要な課題であると感じた。
また、横山先生は「性差の日本史」がこれほど話題になるとは想定していなかったというが、それを企画するにつれて、博物館が社会に対して閉じた状況にあるのではないかと考えるようになり、幅広く市民との接点を持ち、市民からも問いを投げかけられるような場所になる必要性を実感したと述べていた。この問題意識は、博物館に携わる人達の間では「神殿からフォーラムへ」と形容される。すなわち、博物館に来て神秘的なものに触れたという満足感に終始するのではなく、議論を交わしながら意見を構築していく機会を博物館が提供する必要があるということである。実際、「性差の日本史」を観覧した後、常設展示にどのような「性差」が現れているのかを確認したという来場者の声もあったという。
以上の通り、今回のツアーでは、性差の構築性について歴史的な観点から学ぶだけでなく、実際に展示を担当する側の研究者に話を聞くことで、研究成果を社会に還元することの大変さや難しさについても考えを巡らせることができた。もちろん、歴博は大学共同利用機関法人人間文化研究機構の「研究機関」の一つであり、キュレーションに特化した博物館とも性質が異なるものである。すなわち、歴史学・考古学・民俗学の研究成果を膨大な量の史料とともに、ありのままに公表することで社会に還元することを原則としている。それゆえに、受け身で「知識」や「教養」を得るという態度よりは、それらを積極的・主体的に解釈し、議論を交わしながら考えを組み立てるという自主的な態度が、オーディエンスに対してより委ねられている側面がある。報告者の専門分野(社会学やメディア研究)では、「歴史」は現在の視点から絶えず重層的に再構成されるものだと考えられるが、まだ十分に深く議論されていない「性差」という主題を軸として「歴史」を再構成することの難しさ、大変さを改めて深く考えさせられた。