REPORTS

Dr. Richard Carter-White講演会
「集合的記憶、繋がりと断絶、および博物館における証言のデジタルトランスフォーメーション」報告

アリッサ・カスティロ・ヤップ(B’AIグローバル・フォーラム 院生メンバー)


・日時:2023年10月4日(水)15:00~16:30(日本時間)
・場所:対面およびZoomによるハイブリッド開催
・言語:英語
・講演者:Dr. Richard Carter-White(マッコーリー大学 社会科学部人文地理学 上級講師)
・モデレーター:久野愛(東京大学大学院情報学環・学際情報学府 准教授)
・主催:東京大学Beyond AI研究推進機構 B’AIグローバル・フォーラム
・後援:東京大学Beyond AI研究推進機構

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「Collective Memory, Dis/connection and the Digital Transformation of Witness Testimony in Museum Settings」と題された今回の講演は、新たな公衆を巻き込むうえでデジタルプラットフォームが持つ可能性を探求しているRichard Carter-White氏がB’AI Global Forumで行った、2回目の講演会である。Carter-White氏は、2022年12月の1回目の講演では、地理を学び、教えるためのVRの利用について話し(https://baiforum.jp/report/re072/)、今回は困難をはらむ遺産のデジタル化について議論した。

講演は、博物館における証言のマルチメディア表象の重要性と価値を説明することから始まった。広島平和記念資料館を最近訪問したというCarter-White氏は、そこで証言の表象にさまざまなフォーマットと視点が使われていることや、それらが来館者との「想像的なつながり」において「人間化、個人化、感情移入」の役割を果たしていることに気づいたという。また、主なトピックとしてUSC Shoah FoundationのAIを活用したプロジェクトの事例も取り上げられた。このプロジェクトは、事前に録画された目撃談のインタビュー回答のホログラム映像を介してホロコースト生存者たちの証言を来館者に伝えるというものである。これらの映像は「プロンプト」への回答として機能するが、その回答は来館者の質問に答えるためにAIが取得したものだ。Carter-White氏は、この「証言する機械(witnessing machine)」には潜在的に問題があると述べる。なぜなら、「オリジナル」のインタビューがどのように行われたか、コミュニケーションのメディアに媒介される過程で感情がどのように失われうるか、および経験の偏りについての透明性が不足しているためである。

 要約すると、Carter-White氏は、博物館における証言の表象のために「証言する機械」を使用することについて、3つの重要な論点を提起した。すなわち、連帯感と儀式、即興性と反省、そして同一化と距離である。

この講演において最も印象的な議論として、デジタル情報がかつてないほど豊富な時代における「目撃証言を生み出す」際の真実と真実性の違いを、Carter-White氏が示したことがあげられる。証言には信頼性がないと疑問視する人もいるかもしれないが、Carter-White氏は、記憶の誤りそれ自体も一種の証言であると論じる。このようにして、 Carter-White氏は来館者を「責任を持ちうるオーディエンス」として位置づけ、Aragoni&Galagi(2012)を引用しつつ、博物館において独話的な実践から対話的な実践への転換があると述べている。彼はさらに、真正性、信憑性(credibility)、簡潔性、信頼性(trustworthiness)のテーマをとくに前面に出し、これらの4つのテーマが私たちに近しいものであるがゆえに、証言を強化するのだと説明した。これは今日のAI技術が、デジタルな性質(アナログや伝統的であることとは反対のものとして)をもつために、真正性、信憑性、簡潔性、信頼性がある感じがしないのと対照的である。

この講演は、オンラインとオフラインの双方から多くの質問を喚起し、さまざまな学問分野とバックグラウンドから、困難をはらむ遺産のデジタル目撃証言に関する論点が展開された。私たちは列車やコンピューター、スマートフォンの画面を通じて、世界中で進行している紛争について見聞きしている。こうした状況の中でCarter-White氏の研究は、困難をはらむ歴史をアーカイブ化するための感受性とリテラシーを育むことが不可避的な重要性をもつことを示している。今回の講演で示された彼の研究は、戦争や苦難、トラウマを回顧する説明をおこなうだけでなく、日々の実践の中でただ受動的に見たり聞いたり話したりすることしかできなかったような世界中の進行中の闘争に、私たちを確かにつなげているのだ。